研究者について

柴田市子(1923-2014)

1923年、兵庫県神崎郡に生まれる。大阪女子高等医学部専門学校卒業。農村医療にたづさわる。中川医院医師。兵庫県民主医療機関連合会代表。住民側に立って生野イタイイタイ病患者の発見と救済、汚染調査活動などを行う。著書に『生野イタイイタイ病(神崎書店)』などがある。

萩野昇(1915年11月20日 – 1990年6月26日)

長崎県に、医師・萩野茂次郎の長男として生まれる。1940年旧制金沢医科大学(現・金沢大学医学部)を卒業し、同病理学教室の研究生となる。「痛い!痛い!」と激痛に悶えながら衰弱死に至る原因不明の奇病に苦しむ多くの女性患者たちを目の当たりにし、原因究明に動き、外部の研究者たちと共同研究を行った。やがて疫学調査から患者の発生地域を神通川流域と特定、1957年第12回富山県医師会で鉱毒説を発表する。その後、岡山大学教授の小林純や農学者の吉岡金市の助力を得て研究を進め、1961年6月、第34回日本整形外科学会において、三井金属鉱業神岡鉱山から排出されるカドミウムが原因であると発表する。富山イタイイタイ病の発見者・研究者。1968日本医師会最高優功賞、朝日賞を受賞。1972年2月24日、兵庫県の柴田市子医師と会い、共に生野イタイイタイ病の検診を始める。1990年6月26日、敗血症のため死去。享年74。