患者とその症状 ― イタイイタイ病とは

折れ曲がった患者の腕(『生野イタイイタイ病』より)

1) 尿中のカドミウム量が高い

2) 尿中の蛋白と糖が同時に陽性

3) 血液にアルカリフォスファター

  ゼ値が増加する

4) 血清無機リンが減少する

5) 尿に低分子タンパクが出るた

 め、ディスク電気泳動像が陽性

6) 腎臓障害で不足したカルシウ

 ム、タンパク、糖分が骨質から

 流れる

7) 骨の脱灰あるいは骨軟化症

8) カドミウム中毒患者は代謝性

  アシドーシスになっている

 


K.Nさん(75才・女)

市川流域居住年数、75年。出産7回。自家生産。生活水は井戸水および川水を使用。骨折2か所で当時寝たきり。尿は蛋白・糖ともに陽性でカドミウムは40μg(マイクログラム)/ℓ。RBP(低分子蛋白の一種)強陽性、ディスク電気泳動は腎尿細管障害型を示す。血清では、骨に変化があることを示すアルカリフォスファターゼが高く、カルシウムは普通、無機リンは正常下限を示す。骨レントゲン像には左前腕骨に明らかな骨改変層が見られた。スゥエーデンのカロリンスカ大学シェルストレム先生は、カドミウム中毒の強い疑いをもたれた。

 

 

S.Oさん(73才・女)

市川流域居住年数73年。出産1回。7~8年間寝たきりで、受診を拒否されたが、内科視診ではイタイイタイ病で間違いないと診断された。その後、精密検査を受けないまま亡くなった。

 

 

K.Hさん(79才・女)

市川流域居住年数56年。出産10回。生野から60km下流の地域で生まれ、24才の時に生野から20km下流の地域へ嫁入り。米・麦・野菜は自家生産。飲料水は昭和20年頃までは田んぼの湧水、昭和21年頃から井戸水、昭和43年頃から簡易水道。64才の頃から両下肢が痛く、アヒル歩行をしていた。77才の頃から痛みがひどくなり、78才で農作業ができなくなる。神経痛の治療を受けるが、痛みは増すばかりで、両胸部に激しい刺痛があり、介助も体位変換も困難であった。亀背で体全体が痛む。特に測胸部、腰部は酷い。両側大腿部は外側へ湾曲して細い。尿中の蛋白・糖ともに陽性。アミノ酸が高く、カドミウムは19.5μg/ℓ。ディスク電気泳動で腎尿細管障害型を示す。血液はアルカリフォスファターゼが高く、カルシウムと無機リンは低く、残余窒素はやや高い。貧血顕著。レントゲンでは右大たい骨中央部に骨改変層があり、胸かく左第七と右第七肋骨にそれぞれ1ケ所づつ骨改変層を認める。治療はビタミンD大量療法で3か月後には起き上がれるようになる。

 

 

渕本.Nさん(女)

生野町南真弓生まれ。同じ村に嫁ぐ。出産回数5回。飲料水は近くの共同井戸水。65才頃から腰や背中が痛くなり、酷いときは息をするのも着物を着るのも痛い。朝、立ち上がれないので、這うようにして顔を洗いに行く。杖を使うも、背丈が縮むので杖を短くしている。少しの距離を歩くのも時間がかかる。

I.Kさん(71才・女)

市川流域居住年数、45年。出産6回。コメは自家生産。生活用水は、山水・川水・井戸水。53才の頃に右股部痛で発病、歩行困難、右下肢痛。尿は蛋白・糖ともに陽性。カドミウムは40μg/ℓ。ディスク電気泳動は腎尿細管障害型を示し、RBP強陽性。血清ではアルカリフォスファターゼが高く、カルシウム普通、無機リンは正常下限、骨レントゲンで右大腿骨に骨改変層を認める。

 

 

 

M.Aさん(32才・女)

市川流域居住年数32年。出産0回。結婚し、生野へ転居して半年ほどで関節などの痛みが始まる。手の指が反対側へ反り返るなど、骨軟化症が顕著であった。歩行困難となり、離婚させられ大河内町の実家に戻る。神戸医大で膝の手術を受けるも、原因は分からないと言われ、柴田市子医師、萩原医師とは巡り合えないまま、数年で亡くなった。

 

 

S.Sさん(80才・女)

赤穂生まれ、香寺町中仁野に嫁入り。糖尿病、腎臓疾患あり。顔が青白い。尿検査の結果、カドミウム腎障害が分かる。その後、81才で亡くなる。

 

 

木村.Wさん(女)

生野生まれで大河内町へ嫁入り。出産10回。神経痛で5~6年治療を続けるも、悪化するばかり。腎臓疾患、糖尿あり。身長141cm、左下肢長80cm、右下肢長79cm、左上肢長47cm、右上肢長46cm。胸部にラ音聴取、心音微弱、貧血顕著。尿中、蛋白・糖ともに陽性。アミノ酸が高く、カドミウムは17.8μg/ℓと高く、ディスク電気泳動像は腎尿細管障害型を示す。血液中のアルカリフォスファターゼが高く、無機リンが低く、カルシウムは普通、強度の貧血。レントゲンで右橈骨1ケ所、尺骨1ケ所の骨改変層、右大腿骨頚部骨折、左大腿骨2ケ所、右恥骨1ケ所、右肋骨16ケ所、左肋骨4ケ所の骨改変層をみる。合計30ケ所の仮骨折を持つ完全な骨軟化症患者であった。ビタミンD療法で2か月後にみるみる元気になり、全身の痛みが消失したが、大腿骨骨折は痛みを残し、癒えず、座位をとるのがやっと。歩くことはできなかった。

その後、昭和51年1月、下腿骨が2本折れてしまい、痛みの為衰弱、必死の看護もむなしく亡くなった。

R.Nさん(女)

兵庫県の三次検診でマークされた方で、尿中のカドミウム40μg/ℓ。居住地はカドミウム汚染のひどい地域であったが、その後の治療は受けられず亡くなった。

 

 

K.青田さん(73才・女)

出生は非汚染地区。22才の時に結婚し、それから香寺町中仁野に51年間居住。飲料水は川水・井戸水。米・野菜など食べ物は自家生産。農地のカドミウム汚染度は玄米で0.71PPM。63才頃までは健康であったが、次第に神経痛に悩まされるようになる。その後、骨折と四肢の湾曲が重なり、寝たきりとなる。尿中の蛋白・糖ともに陽性。クレアチニン濃度は低く、アミノ酸濃度は高い。カドミウム濃度は高い。血液はアルカリフォスファターゼの著しい増加、カルシウム濃度の低下が見られた。無機リンは正常範囲の下限。レントゲンで右上腕骨1ケ所、右前腕骨2ケ所、左前腕骨5カ所の骨折後骨改変層が見られ、屈側へ骨が湾曲していた。ビタミンD大量療法を中心に、あらゆる身体補強剤を注射し、激痛が次第に薄れ、無表情であった顔につやが出てきた。治療開始60日後には曲がった上肢が動くようになり痛みのあった手を頭の上に上げることができるようになる。

昭和48年12月に亡くなった後、解剖を受けた。臓器のカドミウム値は正常人の約7~10倍の量であり、富山のイタイイタイ病患者と同程度、しかし筋肉と皮膚では富山の患者の2倍の量が検出された。

 

 

香寺市中仁野住民

K.青田さんの発見後、非汚染地区とされてきた香寺師中仁野の住民検診が行われた(昭和48年6月、金沢大学医学部)。結果、富山イタイイタイ病と同様のカドミウムによる尿変化が見られた。尿中の蛋白・糖ともに陽性の患者が12.5%。居住年数が長い人ほど尿中カドミウムの量が多く、蛋白・糖の陽性者であることが多い。その陽性者は低分子蛋白、プロリン、αアミノ酸を認める腎尿細管障害型である。中仁野は市川の流れが洪水で変わる前は市川の中州であったといわれている。

 

 

市川流域住民

このほかに腎尿細管に障害がありイタイイタイ病患者と思われる住民が17名、萩野医師の1日検診で見つかっている。(『生野イタイイタイ病』P.17)

 

 

生野住民

生野では5名の重症骨軟化患者が発見されている。また40名近くのカドミウム腎障害とみられる住民がいる。元気に見える人でも、尿と血液の検査で同じような所見を持っている。(昭和50年10月)(『生野イタイイタイ病』P.78)


出典:『生野イタイイタイ病』(柴田市子著)